教養って必要ですか?

教養

「教養って学んで身につくものなの?」
「理系の学生にも教養科目って必要なの?」
「そもそも教養って何?」

そんな学生の率直な疑問に、教養科目を教える側の教授が答えるというガチンコ勝負のシンポジウムが東京工業大学で開催された。

タイトルは「進化する教養教育~東工大~」。ずいぶん硬いタイトルである。が、その中身は超絶的におもしろかったのでレポートしたい。

このバトル……もとい、シンポジウムのきっかけは、東工大の大学改革にある。東工大は、これまで大学(学部)のみ必修だった教養科目を、来年(2016年)からは大学院でも必修にする。

それだけ大学側は教養を重視しているのだけれど、当の学生はというと、冒頭の言葉通り、教養に対して懐疑的。そこで学生は、「大学改革に俺たちの意見を反映させよう!」という思いから、シンポジウムを自主企画で開催したのだ。

進行役は学生で、登壇者は東工大の副学長と3名の教授。以下は、そのシンポジウムの内容から。

なお、教養科目には文系・理系の両方があるが、東工大は理工系の大学のため、シンポジウムでは「教養科目=文系科目」という前提で話が展開されている。あらかじめご了承願いたい。

いくら勉強ができても、人間的魅力がなければアウト

「実は昨日まで、脳梗塞で入院してたんだけど……このシンポジウムのために奇蹟の復活を果たしました!」と、開口一番元気に挨拶したのは、文化人類学者・医学博士の上田紀行教授。東工大のベスト・ティーチャー・アワード受賞者だ。

上田教授は、病院での体験を例に、なぜ教養が必要かを語った。

--MRIは体をマルチスライス(断層撮影)して、どこに病理があるのか、どんな症状なのかを明らかにしてくれる。命が助かったのは、MRIのおかげ。これはまさに、東工大生が得意な工学の結集だ。

でも入院生活は、検査より看護時間のほうが圧倒的に長い。マルチスライスされた人間は、何に苦しんでいるのか? どんな不安を抱えているのか? 看護される人間に必要なのは共感であり、励ましだ。

東工大生はマルチスライスする技術には強い。でも、共感・励ましの部分が弱い。

もし自分が当事者(患者の立場)だったらどう思うか? 苦しんでいる人の立場に立って考えることが必要だ。それには教養がいる。

教養は知識ではない

「教養は知識ではない」と言うのは、アートが専門の伊藤亜紗准教授。

--東工大生は、自分とは違う立場に立ってみることが苦手。科学技術をユーザーのことを考えずに作っている感じがする。

たとえば、2045年に「人工知能が人間の知能を上回る」と言われている。東工大生は、そういう世界を作る側にいるのだけれど、学生に「そういう世界になってほしい?」と聞くと、「嫌ですねぇ」と返ってくる。

これは、自分が作っているものが、理想とする社会のためになるかどうかを考えていないということ。これでは、いつか後悔することになる。

想像力を持って欲しい。それが教養というもの。

正義とは何か?

科学読みのものベストセラー『ゾウの時間 ネズミの時間』 (中公新書) の著者として有名な本川達雄名誉教授は、教養を次のように定義した。

「教養とは、ものの見方・考え方・価値観のこと。社会で何ができるか・いかに生きるべきかを考えること」

--理工系はHowを解き明かすが、Whyは問わない。

理工系はメカニズムを追求する学問だ。だから「使い方は使う人が考えてね」と、作ったモノを社会にぽーんと放り出す。使い方や目的を考える責任がないから、原爆も作れてしまう。

これではダメだ。技術が社会に与える影響を考える技術者にならないといけない。何が正義かを考えなくてはいけない。それには教養が必要だ。

なぜiPadはヒットしたのか?

水本哲弥副学長は「世の中のことがわからないと、理系の力が世の中にどのように活かされるのかがわからない。世の中を知るには教養が必要だ」と言う。

--たとえばiPadは、ハードウェアに特別な技術が使われているわけじゃない。けれどアップル社は、端末と一緒に使い方やiTunesなど、トータルの仕組みを提供した。だからメガヒットにつながった。

それから半導体。日本が半導体産業で失敗した1つの理由は、10年以上同じパソコンを使う人なんていないのに、半導体の寿命を延ばす方向に力を入れたから。

いくら技術のことを知っていても、世の中のことを知らないと、使われないモノを作ることになる。

どんな教養科目が役立つか?……と問う危うさ

シンポジウムの聴講者には、東工大生だけでなく、一般の社会人も大勢いた(むしろオジサンのほうが多かった)。そこで進行役の東工大生が、会場にいた社会人に「社会に出てから、どんな教養科目が役立ちましたか?」と訊ねた場面があった。

この質問に対して、上田教授は苦笑いして、こんな話をした。

--そうやって最適解を求めようとするのは、“正解”があると思っているから。

IS(いわゆる「イスラム国」)の問題1つ取りあげてもわかるように、世の中には多種多様な人がいて、それぞれ自分の信じるものが正解だと思っている。答えが1つなんてことはない。

多様な価値観があるから、利害の対立もある。それらをどうハンドリングして、いい世の中にしていくかが問われている。

教養科目に正解はない。「お前の言ってることはちがうよ」と、議論できる場をつくるのが教養科目。

数学的に「答えが1つ」の理工系に多様性は必要か?

最適解なんてない、答えはいろいろある、と教授に諭されても、学生はいまひとつ腑に落ちない様子。ある学生は、こんな反論を教授に試みた。

「理工系の授業やテストでは“答えは1つ”です。教授は答えが1つであることを、私たちにいつも求めていますよね?」

これについては、水本副学長がズバリ。

「正解があるものは正解を求めないといけない。でも、世の中の全てに正解があるわけではない」

【編集後記】
これからの東工大が楽しみになるシンポジウムだった。
なーんて書いて終わりにするほうがキレイだと思うんだけど、正直言うと、内心、己の教養のなさが切なくなるシンポジウムだった……。嗚呼、悲し。

講演タイトル:「進化する教養教育~東工大~」
スピーカー:水本哲弥、本川達雄、上田紀行、伊藤亜紗准
開催日:2015年1月29日
主催:理工系学生能力発見開発プロジェクト

※掲載内容は取材時(講座開催時)のものです。本サイト閲覧時には、すでに状況が変化している場合があります。教員の所属大学・学部などは特にご注意ください。本サイトを情報源として利用する場合は、必ず各人の責任において関係各所へ最新情報を確認してください。
※この記事は、旧サイトのコンテンツを一部改変し、移植したものです。

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