源氏物語をいま読むことの意義ってナニ?

和室

人文社会学部は不要です、と、国から宣告された国立大。

これに真っ向勝負を挑むかのように、東大は「源氏物語を今日読むことの意義を論じあいます」と事前告知を打って座談会を開催した。そのタイトルは「2015年の源氏物語」。

なかなか骨があるじゃないか、東大! と思い、行ってきました。

登壇者は、東大の藤原克己教授と、源氏物語の研究者マイケル・エメリック氏と、作家の角田光代氏。(※角田氏は現在小説執筆を休み、3年かけて源氏物語の翻訳に挑んでいる)

この3人が語った「源氏物語を今日読むことの意義」とは……。


ひと言でいえば、「おもしろければ、いいじゃない」である。正確に言うと、この3人は、意義については語らなかった。座談会で語られたのは、溢れんばかりの“源氏LOVE”だった。

藤原教授は原文を紹介しながら源氏物語の深さと美しさを、エメリック氏はアメリカで紙不足を引き起こすほどの大ベストセラーとなった翻訳作品の誕生秘話を、作家の角田氏作品のおもしろさを翻訳することの苦悩を語った。

源氏物語は、現代語訳より英訳のほうが読みやすい

角田氏は翻訳に挑むにあたり、現代語訳をいろいろ読んだが、英訳されたものが一番わかりやすかったという。なぜなら、原文にある煩雑な敬語が、英語では省かれていたから。
 
たとえば日本語の「言う」には、「おっしゃる」とか「仰せられる」とかいろいろな敬語があるが、英語は「say」だけ。いちいち敬語に惑わされることがないので、わかりやすかったそうだ。

では、なぜそんな煩雑な敬語が源氏物語にはたくさん使われているのだろう? その理由をエメリック氏は、次のように説明した。

「日本語では、主語を省くことがよくありますよね。源氏物語も、やはり、主語が書かれていません。その代わり敬語を使うことで、それが誰の発言なのか・誰に対する発言なのかがわかるようになっています。だから敬語の機能を考えないと、翻訳はできません。英訳版は、そこがすでになされているからわかりやすいのです」

教えて先生! どうして古文の授業はつまらないの?

座談会最後のQ&Aタイムに、高校生がナイスな質問をした。

「先生方のお話には源氏LOVEが感じられて、とても楽しかったです。私はいま高校一年生なので、これから源氏物語を読むんですけど、勉強になるとつまらなくなっちゃいそうなので……そうならないように、きょうは、先生方が思う源氏物語の楽しいところを教えてください」
 
これに対してエメリック氏は、勉強が楽しくないのは、授業がダメだから。一番ダメなのは、そういう授業をする先生なんだけど、それを先生にダイレクトに言っちゃダメだよ(笑)、とジョークを交えながら、次のようにアドバイスした。

「まずは梗概もの(あらすじ版)を読むのがおすすめです。源氏物語は恋愛だけじゃなくて、スキャンダルも、ゴシップも、政治の話もある。ジェットコースターみたいな話がいろいろあるから、楽しめると思います」

藤原教授は「勉強が楽しくないのは、授業で品詞分解なんかさせるから……はぁ」と、大きくため息をついてから、こんな話をした。

「品詞分解なんて、覚えなくていいんです。……あ、いや、覚えなくちゃいけないこともあるけど。勉強して嫌いになってしまうことがないようにしてほしい。知るより好き、好きより楽しい。楽しいという気持ちが一番大切ですから」

肝心の、藤原教授が思う源氏物語の一番楽しいところはというと、「全部おもしろいから、選べません」とのこと。終始、こんな源氏LOVEに溢れた座談会だった。

講演タイトル:集英社高度教養寄付講座「2015年の源氏物語」
スピーカー :マイケル・エメリック(カリフォルニア大学ロサンゼルス校准教授)、角田光代(作家)、藤原克己(東京大学教授)
司会:柴田元幸(東京大学特任教授)
開催日:2015年7月4日(土)
主催:東京大学大学院人文社会系研究科・文学部

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