生きることを丸ごと肯定する『生き延びるための思想』
『生き延びるための思想』というタイトルを目にしたとき、「そんなのあるの?」と思った。これ、宗教の本じゃないよ。フェミニズムの最前線を走ってきた上野千鶴子による論考集。
教授が書いた論文だから難しいかな、と思いつつ序章を読んでみる。
もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない
あれ? 違うのけ? そんな私の疑問を見透かすかのように、上野はこう続ける。
わたしの考えるフェミニズムは、弱者が弱者のままで、尊重されることを求める思想のことだ
そして女性兵士を例に挙げ、わたしたちは「暴力への男女共同参画」という難問の前に立たされている、さぁ、どうする、と問う。
難しくない、私にもわかるじゃん。しかも、おもしろそう!
男に似ることがフェミニズムのゴールではない
上野はアメリカの女性兵士のように、男という抑圧者に似ることをフェミニズムとは認めない。そんなものは男女平等ではないと言う。
なぜなら抑圧者は被抑圧者とセットでしか存在しないから。女が暴力を振るう側に立てば、それは新たに誰かを抑圧することになる。上野はそれを許さない。
また、上野は正しい戦争などない、正当化できる暴力などないとしたうえで、解放運動としての対抗暴力も否定する。
対抗暴力は、権力の非対称のもとで行使されるものであり、そうした状況下での抵抗は命取りになる。これは、たとえばDV被害者が加害者にやり返したらどうなるかを考えれば、わかるだろう。
上野が対抗暴力さえも認めないのは、フェミニズムは「生き延びるための思想」であって、「死ぬための思想」ではないからだ。
では対抗暴力によらずに、暴力を解消する方法はあるのだろうか?
それが簡単に言えるんだったら、こういう論文や本も、苦労して書かなくってもいいでしょう(笑)
上野はそうことわったうえで、「逃げよ、生き延びよ」と言う。命より大切な価値などない、と考えるからだ。
フェミニズムは女だけの問題ではない
最近の上野はフェミニズムからケアの問題へとシフトしたと言われている。実際、本人もそう言っていた時期があるのだが、今はそう考えていないと言う。
わたしは弱者がいかに生き延びるかについて、考え続けてきたのだ
オリンピックの柔道やレスリングで日本女性が金メダルをとる現代においては、女性=弱者かはわからないが、老いれば誰もが(男も)弱者になる。ケアされる者になるからだ。
ケアされる者とケアする者の間には、圧倒的な権力の非対称がある。フェミニズムが直面してきた問題は、そのままケアにも通じるのだ。
「認知症になるぐらいなら死んだ方がましだ」と考える人もいるかもしれない。しかし上野は言う。
惚けて垂れ流しになってるわたしやあなたに、そのまんま生きていていいんだよと言ってあげるのが、思想の役目
『生き延びるための思想』 は、どんな状態になっても生きることを絶対的に肯定する、究極のサバイバル術である。
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