学問楽(ガクモンガク)

学問はエンタメだ!

平和とは何か?~平和学で読み解く3.11という暴力~

蝋燭

「平和とは何か?」と聞かれたら、あなたならどう答えるだろう?

「平和は戦争の反対だから、戦争がない状態のこと」と思ったあなた(私も)。残念でした。これ、平和学という学問の世界では不正解。

正解は「暴力の不在」。

――こんな話で始まったのは、立教大学で開催された「原発・開発・コミュニケーション~東電原発事件をめぐって~」という講演。

その内容は、平和学を専門とする平井朗氏が、平和学の視点から、3.11の東電原発事件(※)が人と人とをつなぐコミュニケーションを暴力に変えた構造を明らかにするというもの。

※平井氏は、3.11で起きた原発災害は開発主義(経済成長主義)という人為的な原因で起こったものであると捉える立場から、「事故」ではなく「事件」と呼んでいる。

暴力とは何か?

「平和とは、暴力の不在を意味する」と説明されると、一般の人は(私も)納得してしまう。しかし、学問の世界では、それではダメだ。なぜなら「暴力とは何か?」という疑問が残るから。

では「暴力とは何か?」というと、平和学では「潜在的実現可能性の発現を妨げるもの」と定義しているそうだ。

……?

意味、全然わからないんですけど……という空気が会場に満ちると、平井氏は暴力の定義を思いきりかみ砕いて次のように説明した。

「暴力とは、人にとって当たり前の未来の実現を邪魔するもののことです。たとえば、日本人男性の平均寿命は約80歳ですが、60歳の僕(=平井氏)がいま死んだとします。すると平均寿命との差である20年を作ったもの、これが暴力です」

おお、わかりやすいではないか!

自然災害であらわになった「構造的暴力」

暴力には2つの種類がある。

1つは「直接的暴力」。これは行為者が存在する暴力のことで、たとえば誰かがボカーンと人を殴るような、加害者がいる暴力のことだ。

もう1つは「構造的暴力」。これは社会構造に組み込まれた暴力のことで、行為者はいない。たとえば2005年にアメリカ南部をおそったハリケーン・カトリーナで起きた被害がこれに当たる。

被災地域は海抜が低く、大きなハリケーンが来たら高潮で被害が出ることは、以前から専門家が指摘していた。それなのに、政府は対策を講じてこなかった。被災地域が貧困地帯で、政府に対して発言力を持たない人が多かったからだ。

ハリケーンが来たとき、貧しいために車がなくて逃げられなかった人がいる。なんとか逃げられたけれど、その後の救助が遅く、避難場所で亡くなった人もいる。被害は貧困や格差という社会的な要因によって広がった。

自然災害そのものは、平和学が定義する暴力ではない。しかし、ハリケーン・カトリーナで起きた被害は、平和学が定義する「構造的暴力」に当たる。

原発の被害者間で起きている暴力

原発に関係するコミュニケーションには、東電、政府、自治体、専門家、被害者といった様々な当事者間のものがある。これらの中で、特に被害者同士のコミュニケーションが、彼らの潜在的実現可能性の発現を妨げる暴力になっていると平井氏は指摘する。

なぜなら、同じ被害者なのに、放射線は安全か危険か、避難するかしないかといった対立の激化が起きて、被災地住民同士の意思疎通がままならない(コミュニケーションがとれない)状態になっているからだ。

この被害者間の分断を強めてしまったのが、政府が行った線引き(避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域)だった。

政府によるリスクコミュニケーションの間違い

政府は被災地住民とコミュニケーションをとっていないわけではない。実際、環境省は2012年から福島と近県6県で「放射線健康不安に関するリスクコミュニケーション」を実施している。

しかし、これは専門家が市民に対してリスクを数値で評価したデータを見せて、その意味を教えるという上から目線のコミュニケーションで、市民との関係がうまくいっていない。

政府は市民とコミュニケーションがとれていないのだ。その証拠として、平井氏は、政府が作成した冊子のQ&Aの一部を紹介した。

Q:「今の放射線被ばくで、カラダにどんな害が出るんですか?」
A:「害があるとしたら、がんの危険がわずかに高まることだけです!」

こうした政府による上から目線の説明が、市民から批判されたのはご承知の通りである。

※これは私の補足になるが、平井氏はこの冊子の答えを「ウソ」だと言っているのではない。氏が問題視しているのは、政府のコミュニケーションのまずさである。

暴力を減らす方法とは?

暴力に2種類あるように、コミュニケーションにも2種類ある。

1つは「開発コミュニケーション」。これは経済成長を目的としたもので、その特徴は「普及型で、専門家の働きかけがあって、階層的で単一的、暴力的」。

もう1つは「脱開発コミュニケーション」。これは開発ではなく、生き抜くことを目的としたもので、「対話型で、主体的・自立的なもので、地域性・多様性があり、平和的」という特徴がある。

3.11がコミュニケーションを暴力に変え、被害者を分断してしまった理由は、原発に関連するコミュニケーションが「開発コミュニケーション」になっているからだ、と平井氏は言う。

では、3.11の暴力を減らすためにはどうすればいいのか? 

平井氏は、次のように提案した。
被害者自らが被害者であることを意識して、主体となって暴力に対峙すること。つまり、「脱開発コミュニケーション」にシフトすることだ。

被災地から遠く離れた人は、3.11という暴力とは無縁なのか?

被災地の住民とは違い、直接的な被害者ではない人たちは、暴力とは関係ないのだろうか? そうではない。3.11の暴力は、社会構造が原因の構造的暴力なのだから、これを減らすためには、社会を支えている一人ひとりが変わる必要がある。

現場に行ってボランティアをするのもいいだろう。エコな生活をするのもいいだろう。けれど本当に必要なのは、一人ひとりが政治に関わって変えていくことだ――。

平和学を語る平井氏の言葉は、力強かった。

【編集後記】
原発をめぐる言説には、送り手・受け手の両方に感情が混じることが多く、そのために冷静な思考・対話が成り立たないことがある。

今回の平井氏の講演に、私はそうした感情を感じなかった、と言えばウソになる。氏の言説もまた、「分断」を生む原因になる恐れがあると思ったというのが本当のところだ。それは残念なことだし、そうなることを氏は望んでいないだろう。だからこのレポートを掲載するかどうか、正直悩んだ。

それでも掲載したのは、まず1つに「平和学」という学問自体を私はおもしろいと感じたからだ(そんな学問が世の中にあるということを私は知らなかった)。

そしてもう1つ。「平和ボケ」とか「積極的平和主義」といった、平和とは相容れない言葉とセットで平和が語られることが多くなった今、「平和とは何か」を考えることに意味があると思ったから。

ぜひ、冷静に読んでほしい。学問としての「平和学」の魅力を感じていただければ幸いである。

講演タイトル:原発・開発・コミュニケーション~東電原発事件をめぐって~
スピーカー:平井朗(立教大学異文化コミュニケーション研究科特任教授、ESD研究所所員)※2015年3月で退任予定。
開催日:2015年3月6日(金)
主催:立教大学ESD研究所

※掲載内容は取材時(講座開催時)のものです。本サイト閲覧時には、すでに状況が変化している場合があります。教員の所属大学・学部などは特にご注意ください。本サイトを情報源として利用する場合は、必ず各人の責任において関係各所へ最新情報を確認してください。
※この記事は、旧サイトのコンテンツを一部改変し、移植したものです。