石膏の人物彫刻は人の痛みを感じるか?~TOKAS-Emerging 2019 小田原のどか「近代を彫刻/超克する」へ~

あなたは彫刻に触れたことがあるだろうか? わたしは、ない。今回、生まれて初めて触った。

触れたのは、3人の女性の首の彫刻《愛情・理性・意欲》。顔の凹凸がほぼ仕上がっているのは1つだけで(その1つも顔の一部と頭は石膏のゴツゴツ感が剥き出しのまま)、あとの2つは顔の一部しかできていない。

解説パネルに、この作品は触れることができると書いてあるが、恐ろしくてなかなか手が出せない。

「アート作品には触れてはいけない」という私の中にある常識が邪魔をする。

《Do you visit any monuments?》

そもそも彫刻など触ったことがないから、どんな力加減で触ればいいのかわからない。

「壊れちゃうんじゃないか」「壊しちゃうんじゃないか」という恐怖がどうしても先に立ってしまう。

3つの首を飾った3つの台座の周りをゆっくり歩き、それぞれの首をじっくり眺めてから、再度パネルを読み、触れていいという注意書きを確かめて、いざ。

消える彫刻、現れる人

最初に手を伸ばしたのは、最も顔が仕上がっている彫刻。まだゴツゴツしているだけの頭の部分を人差し指の先で軽く触れる。

――硬い。

思ったより丈夫そうだ。ちょっと安心。勇気をだして、掌で頭に触れる。

――冷たい。

石膏というのは、こんなに冷たいものなのか。生身の人間とは似ても似つかない異物感だ。感触に慣れた私は、何気なしに手を頬に置いた。

が、次の瞬間、手をひっこめた。

――柔らかい!

石膏なのに、柔らかかったのだ。物理的に柔らかいわけじゃない。なにかトリックがあるわけでもない。あるのは硬くて冷たい石膏である。けれど私が掌に感じたのは、確かに人間がもつ柔らかさだった。

もう一度勇気を出して、そっと、今度は両手で頬を優しく包み込む。

――人がいる。

力を入れたら壊れてしまいそうな人が、そこにいる。そう感じた。

私は彫刻のつくりかたなんて知らない。知らないが、なんとなくこんな感じなんじゃないかと想像しながら、頬を両手で包んだまま、おそるおそる目のくぼみに両の親指の腹を置いてみた。それから指にゆっくり力を入れて、くぼみをなぞった。

そのとき、私は痛みを感じた。人の目を押す痛みを。

他人の目を押すというのは、相手に痛みを与える行為であり、痛みを感じるのは私ではなく相手である。が、相手の痛みを想像する力、相手に共感する力というものが人間にはある(少なくとも私にはある)。だから私は痛みを感じたのだ。

問題はただ、それが人ではなく石でできた彫刻だということだ。

フェイクとリアル

ネットでは、自分が信じる正義以外は滅びるべきと信じて疑わない妄信が、テキストデータに変換されて、見えない相手に投げつけられている。

テキストデータを打ち込むのも人間なら、打ち込まれたデータをネットの先で読むのも人間だ。ネットの端と端にいるのは、リアルな人間だ。なのに、そこに共感はないように見える。

他者の痛みを想像する力は、ネットを介すと消え失せてしまうのか。

彫刻はフェイクだ。鑑賞者の前に在るのはただの石膏人物像。リアルな人間ではない。でも触れたとたん、私はリアルな人間としての感情を、痛みを、彫刻から感じ取った。

石の人物彫刻は人の痛みを感じるか?

答えは、Yes だ。

鑑賞者の心の内側に、その感覚は現れる。

触れられる人物彫刻は、相手の立場に立って世界を感じる力をリアルな人間が獲得するのに役立つかもしれない。ネットに接続することで人が失いかけているコミュニケーション能力の再獲得だ。そんな可能性を私は彫刻に感じた。

――と、ここで終わることができればきれいなのだが、そうはいかない。

作家の小田原のどかによると、《愛情・理性・意欲》は戦後に平和の像としてつくられた3体の女性の裸体像《平和の群像》につけられた名である。戦時中は、裸像を飾る同じ台座の上に軍人の像が立っていたという。

国威発揚から平和の象徴へ。

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《Was a close relative killed during the war?》

戦前と戦後で、同じ台座の上で真反対の主張が展開されているのだが、元をただせば政府のPRとしてはどちらも同じ。

公共空間に置かれる彫刻の役割とはいったい何なのか。

なぜ、裸体の女性が平和の象徴になりうるのか?

小田原は、裸体の女性像があふれる日本の特異さに疑問を投げかける。

認めよう。作家の問いがなければ、私はこの異常さに気づけなかった。多少とはいえジェンダー学を学んだ自分としては、これほど恥ずかしいことはない。

まだ私には、この国の女性が感じる痛みを感じ取る力に欠けているようだ。

彫刻は、この壁をも溶かす存在になることはできるか?

答えは――。

▼展覧会情報

TOKAS-Emerging 第1期 2019 小田原のどか「近代を彫刻/超克する」
会場:トーキョーアーツアンドスペース本郷
期間:2019/7/20-8/18

※この展覧会は終了しています。