インターネットは「善意」に弱い。悲しいけれど本当のこと
インターネットの悪意に注目が集まりがちだけど、実はネットは「善意」にも弱い。個人が特定できないように少し改変して書くけれど、昔、友達からこんなメールが送られてきたことがある。
「無実の人が死刑になりそうです。この人を助けるために××国の××大臣に請願メールを送ってください。ひな形はこれです。多くの人に伝えてください」
私はたまたま「その事件は解決済み=死刑になんかならない」ということを仕事で調べて知っていたので、「それはチェーンメールだから人に送ってはいけない」と友達に忠告した。
友達は悔やんでいた。善意からとはいえ、結果的に嘘のメールを広めてしまったからだ。と同時に、悲しんでいた。善意が悪用されたからだ。
twをはじめとするSNSで、誰でも簡単に話を拡散できるいま、事実がわからない情報がバンバンと流れてくる。そのすべてにひっかからない自信は私には、ない。自分がそうしたものを広めてしまわない自信もない。
「ネットで検索すればなんでもわかる」というのは幻想だ。ネットで調べたって、わかないことなんて山ほどある。というか、わからないことの方が多い。嘘や間違った情報が山ほどある。
流れてくる情報をジャーナリストよろしく、事実確認や裏どりを一つ一つするわけにはいかない。だとすれば私たちができることは、「ネットの情報は玉石混合で石の方が多い」という前提にたって、情報を受け取ることではないか。
そして情報を拡散するときは、ポチっとする前に、「これは本当に広める価値があるか? これが嘘や間違った情報だったら、誰にどんな影響がおよぶか? 誰かを傷つけないだろうか?」ということを、一呼吸おいて考えることだと思う。
自戒の念を込めて。