本当の自分と自由を取り戻すために!~『今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除すべき10の理由』~

これを読んだのは、自分がツイッターに疲れを感じるようになったからだ。

ツイッターは、そもそも仕事に役立つ情報を得るために始めたものだった。でもタイムラインは受け身なので、自分がフォローしている人がつぶやけば、仕事に関係のない話題でも目に入ってきてしまう。

そこに悪意が忍び込む。

f:id:yodakazoo:20190916174635j:plain

タップするとAmazonに飛びます

別にその人が問題なのではなく(もちろんそういうこともあるけれど)、その人に喧嘩やいちゃもんをつける周りの人間の悪意がすごいのだ。

自分とはまったく関係のない話題であっても、無駄に悪意を見せられるとこちらまで疲弊する。自分の中の世間への信頼が少しずつ削られていく。すると自分の中の正義感が怒りになって爆発しそうになる。そんなことをしたら、私も単なる喧嘩野郎と同じになってしまう。

注目を集めることが金になるようになってしまったネットでは、嘘の情報をばらまいてアクセスを稼ぐ輩がいる。彼ら・彼女らは、センセーショナルな嘘をつくだけではなく、有名人に喧嘩をうることもする。それで相手が反応すればしめたものだからだ。

この手の情報は、アクセスが多いだけにいろんなところでつながって、めぐりめぐって自分の目にも届くことになる。この悪循環に私は疲れた。

かといって良いことだけをつぶやいて、善意だけを寄せ集める人間にも私は疲れるようになった。意図的に善意だけを表にすれば、当然ながら悪意からは目をそらすことになるからだ。悪意に目をつぶったままの善意は、悪意を暴走させはしても止めることはない。それは本当に“いい人”のすることだろうか?

著者のジャロン・ラニアーは言う。「私は最低の人間にはなりたくない。うわべだけのよい人にも。私は本当の意味でよい人になりたいと望んでいる」

私は「いいね」や悪意の反発の数では決してはかることのできない価値を、言葉を頼りに見つけたい。それはツイッターでは不可能だ。

f:id:yodakazoo:20190916174635j:plain

タップするとAmazonに飛びます